起業家コラム

参考にしたい起業家。2選

2024年4月12日

季節は4月。新年度を迎え、心機一転新たな生活を始められた方も多いのではないでしょうか。 満開の桜とともに、新しいスーツに身を包んだ新社会人や学生たちを目にする機会も増えました。 彼ら彼女らを見ていると、前向きな気持ちになり、自分も何か新しいことを始めてみようかなと思えてきますよね。 そう思うタイミングは人それぞれですが、世の中の流れに合わせて行動を起こしてみるのも一つです。 きっとこの春も、これまで温めてきたビジネスアイデアを具現化するため、「起業しよう」と決意を新たにしている方も多いと思います。 そこでこの記事では、起業を志す方に向けて、参考にしたい起業家を2名ご紹介します。 いずれも大変著名な方ですが、異なる特徴を持つお二人です。多くの学びを得ることができるでしょう。

盛田昭夫(ソニー共同創業者)

一人目は、ソニー共同創業者の盛田昭夫氏です。皆さんはソニーと聞くと、どんな商品を思い浮かべるでしょうか?
今や、生活家電ではもちろんのこと、音響、テレビ、ゲーム機、カメラなど様々な分野で目にすることのある企業です。

ソニーが設立されたのは、1946年。従業員数20名程度の小さな会社「東京通信工業」として、井深大氏と盛田昭夫氏によって立ち上げられました。

小さな会社が、どのようにして世界のソニーへと成長を遂げたのか、盛田氏の経歴に触れながらご説明します。

背景とキャリア

盛田氏は1921年1月26日、愛知県名古屋市で400年近く続く造り酒屋の15代目後継ぎとして誕生しました。
幼少期を愛知県で過ごし、大阪帝国大学(現:大阪大学大学院)を卒業しました。

大学卒業後、太平洋戦争のさなか、海軍技術中尉として参加した戦時研究委員会で、のちに共同創業者となる井深氏と出会います。

その井深氏が戦後に新たな事業を立ち上げていたと知り、その技術力の高さに惚れた盛田氏は、彼の元を頻繁に訪れていました。
そんな井深氏も、盛田氏の才能を認め、ソニーの前身となる東京通信工業株式会社を共同で創業しました。

ソニーが日本初のテープレコーダーを開発した当時、販売を盛田氏が担当していました。
しかし、「画期的で便利な商品」という前評判とは裏腹に、全く売れませんでした。

そこで、一般家庭でも気軽に使用できるように、本体の小型化、外部デザイナー登用によるデザインの一新、教育施設への無償貸出など、まずは世間にその価値を気付いてもらえるように様々な策を講じたといいます。

そんな地道な努力の成果もあり、テープレコーダーの価値が理解され、導入する学校が次第に増えていきました。
この経験から盛田氏は、「マーケットを開拓するには、買い手の視点に立って商品の価値を気づかせることが重要」だと気づきます。

また、経営者となった後は、「ソニー」という名前に強いこだわりを持ち、ソニーの「ブランド化」「グローバル化」を重視していました。
商標を侵害する行為が見つかれば直ちに提訴し、ソニーの名前で販売できない商品はどれだけ大型契約であっても断ったそうです。

そして、早くから国際基準で経営を考え、年功序列や終身雇用といった経営手法を否定してきました。
今はどうでしょうか。
従来型の雇用形態は時代遅れと言われ、年齢や経歴によらず実力で仕事ができる時代になりました。

早くから事業の多角化に取り組み、世間の反対を受けながらも自らを信じて突き進んだ盛田氏。
当たり前の現実を疑い、世間に先駆けて行動を起こせるかどうかが、今の起業家に求められているのかもしれません。

影響力と社会貢献

テープレコーダー、トランジスタラジオ、家庭用ビデオレコーダー、携帯型カセットプレーヤー、ポータブルCDプレーヤー、ブルーレイディスクレコーダー。

これらのうち、皆さんはいくつご存じでしょうか?
実はこの製品、すべてソニーが日本初または世界初として世に送り出してきたものたちです。

特に、「ウォークマン」という名前でリリースした携帯型カセットプレーヤーは、当時主流であった録音機能を搭載していない再生専用機でした。

そのため、当初は「録音できなければ売れないだろう」という社内外の声が多かったといいます。
そんな前評判に反して、ウォークマンは空前の大ヒットを記録しました。

その結果、音楽は自宅の音響機器で聞くのが当たり前という従来の文化を変え、外でも気軽に音楽を楽しめるという新たなライフスタイルを創りました。

このように盛田氏は、製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことに力を注ぎました。
そうしてソニーというブランドの価値を高め、革新的な製品=ソニーという企業イメージを確立していきました。

成功の秘訣

ソニーには失敗を責めない姿勢があります。

会社設立からこれまでの75年間にわたるビジネスの中で、失敗したもの、不可能だったもの、取引先とトラブルになった事例などは、「べからず集」のような形でまとめ、後世へと遺していく工夫をしています。

しかし、当時はうまくいかなかったり不可能だったことも、時代が変われば技術や社会の前提も変わり、可能になるかもしれません。

そこで、これまで蓄積してきた「べからず集」を定期的に見直し、現代の技術と組み合わせることで突破口が見いだせるのではないか、という考えのもと開発を進めているといいます。

もちろん、時代の流れにだけ身を任せて、同じことをやっていては再び失敗してしまう可能性が高いでしょう。

時代の流れをとらえ、遺すべきものは残し、取り入れるべき新しい技術・知見は積極的に取り入れていく。

柔軟に、そして失敗を恐れずにチャレンジし続ける姿勢こそが、成功への秘訣と言えるのではないでしょうか。

リーダーシップスタイル

天才技術者と言われていた井深氏に製品の技術開発を一任し、盛田氏はその唯一無二の製品を世界へ売り込む営業マンとして活躍しました。

その営業センスは、「世界のセールスマン」とも称されたそうです。

ソニーの社員は八方美人な才能ではなく、一つのことに優れていてほしい。盛田氏はそのように語ったそうです。

入社面接においても、「あなたの特徴は何ですか?」という質問を投げかけていたと言われています。

また、1982年当時の新卒採用パンフレットで、求める人材について盛田氏は以下の考えを学生に述べています。

「誤解を恐れずに言うと、私は生意気な人が欲しい。ソニーというのは『生意気な人』の個性を殺さない会社です。思わず腹立たしくなるような生意気な人が、すばらしい仕事をする会社ですよ。そういう人たちの挑戦的な姿勢が、ソニーの原動力です。」

このようなリーダーシップのもと、「特徴のある人間が集まって、特徴のある製品を出す」ことに対して徹底的にこだわり抜き、ソニーらしさを体現していったのではないでしょうか。

ビジョンと目標

「技術者がその技能を最大限に発揮することのできる”自由闊達にして愉快なる理想工場”を建設し、技術を通じて日本の文化に貢献すること」
共同創業者の井深大氏が、会社設立の目的をこのように述べています。

そして、「人のやらないことをやる」というチャレンジ精神のもと、ウォークマンなどに代表される日本初・世界初の商品を世に送り出してきました。

今や企業を象徴する「SONY」という社名についても、全世界で商品を売るブランドを確立するため、「簡単で覚えやすく、どこの国でも同じように発音できる名前にしたい」という、ネーミングに込めた盛田氏の想いがありました。

東京通信工業として創業してから10年以上かけ、ようやく認知度が高まってきた中で社内外からの反発も強かったといいます。
しかし、「我々が世界で伸びるため、断固、ソニー株式会社で行くべきだ」と徹底抗戦したそうです。

世の中にないものを作っていくのがソニーであり、従来の考え方にとらわれてはいけない。
そんな強いビジョンと目標を持っていた盛田氏ならではのエピソードだと感じます。

稲盛和夫(京セラ創業者)

二人目は、京セラ創業者の稲盛和夫氏です。起業を志す方はもちろんのこと、ビジネスマンであれば一度は名前を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
経営者としての知名度のみならず、「生きる上での大切な考え方」に関しても多数の書籍を出版されています。

京セラの創業、KDDIの共同創業、JALの再建など様々な経歴を持っている稲盛氏についてご紹介します。

背景とキャリア

稲盛氏は1932年、鹿児島県鹿児島市薬師町で印刷工場を営む両親のもと、7人兄弟の次男として生まれました。
幼少期を鹿児島県で過ごし、鹿児島県立大学(のちに鹿児島大学と統合)を卒業しました。

稲盛氏が就職活動をしていた1955年は、大変な就職難でした。希望の就職先が見つからず苦労されたようですが、最終的に京都の碍子(セラミックス)メーカーに入社しました。

しかし、入った会社は赤字続き。ともに入社した同僚たちも次々と辞めていきます。
こうなると、自分もその流れに乗って転職するという選択肢を取るのが普通なのかもしれませんが、稲盛氏は違いました。

不平不満を外へぶつけても意味がないと考え、逆に研究に打ち込むことを決意します。
そして、一つの研究に打ち込むという経験を通して、自分なりの人生観や哲学を創り上げていったそうです。
これが、のちに世の中で多く語られる「京セラフィロソフィ」のベースとなりました。

そして、技術者として着実に力を伸ばしてきた稲盛氏を後押しするように、1959年に京都セラミック(現:京セラ)が誕生します。

初年度から黒字化を達成するほどでしたが、3年目に昇給などを求める社員たちからの反発が強まり、危機を迎えます。
この時は、稲盛氏の自宅にて三日三晩の交渉を重ね、社員たちの理解を得て何とか鎮圧したそうです。

これがきっかけとなり、稲盛氏は技術を世に問い続けるよりも、従業員の生活を守ることが会社の目的だと気づきます。
そして多くの検討を重ねた結果、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」という、京セラグループの原点ともいえる経営理念が生まれました。

影響力と社会貢献

稲盛氏は、京セラ創業時のミッションを「自身の技術を世に問うこと」としていました。

そもそも京セラができたきっかけも、「このビジネスモデルならばいける」と考え独立したわけではありません。
このままでは稲盛氏の優秀な技術力が埋もれてしまう、そう考えた周囲の方々の後押しによって生まれた会社でした。

今でこそ経営者としてのイメージが強く根付いている稲盛氏ですが、当時は技術者として活躍していました。
この逆境を跳ね返してやろう、その想いで研究に打ち込んだというほどですから、並々ならぬ努力を積み重ねてこられたのだと思います。

しかし、「稲盛氏の技術を世に問うこと」がミッションの会社で働く従業員は、どのように感じるでしょうか。

稲盛氏の技術のため、稲盛氏の知名度のため、稲盛氏の資産を増やすため…。
「自分は誰のために働いているのか」と、そう感じることでしょう。

技術を世に問うよりも、従業員の生活を守り社会の発展に貢献することこそが会社の存在意義である。
稲盛氏自身も、自身の経験から気づきを得たといいます。

著書の中でも、稲盛氏は「会社の目的が個人の私利私欲に帰結するような企業では、従業員のモチベーションが高まるはずがありません」と語っています。

開発者(売り手)だけではなく、その製品やサービスを受け取るユーザー(買い手)、さらにはその売買を通じて社会全体を豊かにしていくこと。

商売の世界では有名な「三方良し」にも繋がる、大切な考え方だと思います。

成功の秘訣

稲盛氏は、修行のための修行、勉強のための勉強はしたことがないと語っています。
むしろ、全力で仕事に打ち込むことで、心を磨く機会を自然に得ることができたといいます。

「必死の努力を続け、見ている人が可哀そうだと思うほど努力を重ねることで、初めて成功することができる」と語っています。

加えて稲盛氏は、人生の成功には方程式があると語っています。

  人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力

大切なのは、一つ一つの要素が「足し算」ではなく「掛け算」であるという点です。
どれだけ一つの要素が優れていても、他の要素が0だったりマイナスになってしまえば台無しです。

すべての要素をまんべんなく伸ばしていくことが重要です。

しかし、能力は生まれながらにして与えられたものであるため、後から変えることはできません。
そうなると、優秀な人にはいつまで経っても勝てないことになります。

でも、そんなことはないですよね。
一生懸命努力すれば、つまり熱意があれば誰でも勝てる可能性はあります。

さらにそこへ、考え方という重要な要素が掛かってきます。
物事をポジティブに捉えられるか、それともネガティブに捉えてしまうか。
ここで明暗が大きく分かれます。

能力もあり、人以上に努力していたとしても、周りに対して偏った見方で自分の損得ばかりを考えていると、人生はマイナスの方向へ進んでいきます。
それほど、考え方という要素は重要な一面を持っているのです。

皆さんもぜひ、自分の生き方の参考にしてみてください。

リーダーシップスタイル

リーダーとして最も重要な資質は、「常に物事を深く考える、重厚な性格。つまり人格だ」と稲盛氏は言います。

JALの再建を引き受けた際、最初から勝算があったわけではなかったそうです。

それでも、会長就任からわずか2年で2,000億円を超える利益を出すほどまでに回復させました。

一時は経営破綻にまで追い込まれた企業の中で、何が大きく変わったのでしょうか。

稲盛氏は、「全社員の心を一つにして経営するため、一所懸命従業員の皆さんと話をした」と語っています。

主役は自分自身である、という「当事者意識」を持つことの大切さを説き続けたそうです。

これにより、社員の意識が変わり、同時に会社の業績も改善していったといいます。

リーダーの役目は、従業員たちを導くことです。

しかし、個人の力だけでは大きなことを成し遂げられません。

組織として活動するからこそ、可能性が広がっていきます。

しかし、組織を構成するのは個人だということを忘れてはいけません。

その一人一人が当事者意識を持ち、主体的に行動することが非常に大切だということがよく分かるエピソードではないでしょうか。

ビジョンと目標

リーダーは、深く考えて導き出した壮大なビジョンを従業員に説き続けることで、彼ら彼女らのやる気を引き出すことが求められます。

それと同時に、実現に向けた計画を具体的に立てる必要があります。

どのような目標を掲げるかは人それぞれ。経営者の判断に委ねられます。
しかし、今はどれだけちっぽけな存在だとしても、高い目標をもつことが大切です。

目標を実現していく過程では、様々な困難が立ちふさがります。
どんな困難が待ち受けていたとしても、強い意志を持って組織を一つにまとめ、個人の力を結集して目標を達成していくことが求められます。

そのためには、一人一人が納得して仕事を進められるよう、経営者から従業員へビジョンを共有することが不可欠なのです。

しかし、これは組織に限ったことではありません。
皆さん個人の人生においても、非常に重要な考え方です。

自分は何のために今の仕事をしているのか、数年後、数十年後にどのような人生を歩んでいたいのか。
そのために今何ができるか、いつまでに何を達成していれば良いのか。

自分の気持ちに本気で向き合い、正直な心で行動し続けた人の人生は、きっと幸せで輝かしいものになるはずです。

まとめ

これまで数多くの著名な経営者たちが生まれ、日本を豊かにしてきました。その中から今回は、ソニー共同創業者の盛田昭夫氏と、京セラ創業者の稲盛和夫氏をそれぞれご紹介しました。

ソニーという会社のブランドに徹底的にこだわり、世界で戦える企業になるために全力を注いだ盛田氏。
一方、研究という一つの分野を徹底的に掘り下げ、その過程で人生観にも通ずる普遍的な考え方を導き出した稲盛氏。

1社にとどまり続けた人と、複数の会社でキャリアを積み上げていった人。
どちらが良いか悪いか、優れているか劣っているかという話ではありません。

一見、異なるキャリアを積み上げていったように見えるお二人ですが、私はそんなお二人に共通点があると感じています。

それが、「一つのことを徹底的に掘り下げる」ということです。
能力のある人、優秀な人と聞くと「すべてを満遍なくこなせる」という風に捉えられがちですが、起業家にこそ求められるのは「一つのことに秀でている」ことだと思います。

自分の中で納得できる答えが導き出せたら、あとは前向きに全力で努力し続けること。
その姿勢こそが、時代が移り変わっても不変的な、成功の法則なのかもしれません。

この記事を書いた人

naoto
企業研究員、自治体職員を経てフリーランスへ。Webライティング、Webページ制作のほか、バックオフィス系業務全般を対応する個人事業主。

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